住宅政策

2008/07/04

いっそのこと火星にでも・・・

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(環境関連の展示会も大流行?)


環境バブルですね、まさに今は。

まるで、日本経済の水場・餌場を探すかのように、一斉に、このエコ・環境分野に企業がドドドと押し寄せてきています。

10年前は、高齢者会の到来で、福祉ビジネスが盛んになると言われました。
確かに、福祉バブルがおきました。


しかし、いまはバブルは沈静化し、いまは介護ビジネスという言葉は沈没し、本来の通常の活動に戻った感があります。人間のマイナス部分をゼロベースにする日本型の「弱者救済」「相互扶助」論における福祉概念では、ビジネス化などありえないのです。

いわば、福祉という言葉を冠にし、金持ちのファンと低賃金労働者を双方確保することが、「福祉ビジネス」によってヒルズに住める条件なのです。両輪あっての、ビジネスです。

さて、環境でも、似たようなことにならないかしら。少し心配な側面が出て来ました。

というのは、このところ、続々と「近未来型・環境対応フルスペック・プレミアム住宅」が登場しているのです。

光熱費が掛からない、
構造材に金属を使う、
土壌をボーリングし地中からの熱を吸い上げる・・・
太陽光・・

いえいえ、否定しているのではなく、みんな素晴らしいものです。
しかし、一体、これを買うのは、誰なのだ~??ということですね。

そうです、95%の人は買えません。

どうしてか。高いからです。

そして、それらの究極のエコ住宅を構成するパーツ群に、一体どれだけのエネルギー消費がなされ、どれだけのコストが掛かっているのか。それは、オープンではありません。


京都議定書で住宅の分野にあたる「民生分野」のエネルギー量が下がらないことが問題視されているようですが、産業分野に比較したら、たいした数値ではないといったら、怒られるでしょうか(怒られるでしょうかね、きっと・・・)。 

というのは、産業全体を縮小すれば、無駄なものは買いません。
だから、大切に長く使うはずです。

光熱費が少しは掛かっても、co2がちょっとオーバーしても、ケータイ電話やペットボトル、包装トレイのようにじゃんじゃん買い変えていく経済をどうにかしないと、まったく意味がないと思うのです。それは、「産業分野」の責任です。

どうせなら、超ハイスペック住宅は、火星で建てて、火星で暮らせば、地球のco2は減るのだと思います。
いっそのこと、火星にでも行きましょう。

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2008/01/04

200年住宅に住める人は何人いるでしょうか

いよいよ「200年住宅」が動き出したようです。
福田首相肝いりの法案が、時期国会で提出される見込みです。


これは、耐久性の高い住宅を 「長期耐用住宅」に認定。そうすると、不動産取得税や固定資産税が軽減される。また、住宅の改修履歴を保存して、転売を容易にするシステムも構築するというものです。


環境保護と少子高齢化社会対応に向け、従来の住宅政策を大きく転換するのが狙いだということ。


意義は大変良いのですが、この考え方が機能するには、検証されるべき問題点が多々あります。

簡単に列挙すると、


・配管などの施工方法の革新が必要
・地盤保証、性能保証の確立が必要
・保険会社、金融機関との連携が必要

といったものです。これらの要素は、すべて住宅のコストアップに繋がるものです。


さらに、この「履歴を残して中古住宅の転売に有利にする」という考え方そのものに、実は大きな問題点があります。

当然、200年住宅はバカ高い買い物になります。
今までのような、「年収300万円でも買える家」というモノではないからです。


つまり、「バカ高い住宅」なので、当然に流通しません
また、流通のサイクルが長期の世代をまたぐので、中古市場の売買は活性化するどころか、プレミアムな市場となるでしょう。


となると、「中古住宅の流通市場をつくり欧米のような資産価値市場を創る」という目的が果たせないのです。
そもそも、こうした欧米の「資産価値流通」は、サブプライムローン問題のように、すでに崩壊しつつあります。


日本の住宅政策は、ここ10年間、ずっと、このアメリカ型証券化市場をモデルに「改革」を行ってきましたから、「200年住宅」の本質も、この「アメリカ型住宅政策」を基盤とするものなのです。

住宅の資産価値とは何か。

①不動産取引の数を増やし、経済的なメリットを重視し市場の活性化するという尺度で図るのか。
②ライフスタイルを重視して、経済的なメリットではなく、個人が社会と共に地域を大切に、その住宅を大切にずっと住んでいくのか。


どうやら、僕は日本的な「資産価値」は、後者のような気がするのですが。もちろん、中古市場は活性化しないですし、安い住宅も淘汰されますが、そのかわり個人破産もなし、環境破壊もなしという、「落ち着いた住宅政策」にシフトさせれば、200年どこか、500年住宅も可能なのではと考えます。

「200年住宅」を買えない80%の日本国民のために、まずは100年間、住まいについては安心できる、賃貸市場の活性化こそ、住宅政策の核にすべきです。


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2006/04/18

「住生活法」がついに???

今日はとある住宅ボランタリー組織の方に、半年振りくらいに挨拶。
「実はやっと、御社に電話できるようになったんです、移ったばかりで、やっと軌道に乗ってきたので・・」
「ブログですか、ああ、そっちは最近更新していないので・・・・」
そんな会話で始まって、結局30分以上電話で話しこんでしまいました。

ということで、「今晩は必ずブログを更新します~」と約束したので、今日は眠いけれど根性で更新です(汗)。

耐震企画で先週から新規スポンサー訪問を開始。
その他、家庭用火災報知機、防腐・防蟻関係のクライアントも複数歩く。
その間、企画会議、ベンチャー企業との打ちあわせ、地盤会社との折衝・・・・記事広告の作成・・・

さてさて、話題は目が回るほど、降り積もるほどあるのですが、まずは、速報です。

いよいよ住生活基本法案が委員会審議に入る模様。
早ければゴールデンウィーク明けに衆院を通り参議院へ。
おそらく、ほぼ原案通りに6月18日の今国会会期終了には成立してしまう見込み。


その合間を縫って、基本法案についての委員会審議に向けた意見書の作成をし、明日にも某党の提出。
意外と、この種の内閣立法案は「国会軽視」という側面を孕みながら、トントンで進行してしまうらしい。

そのため、各党ともに主張を「付帯決議」で入れ込むということで解決を図るような動きとのこと、確かな筋からの情報です。

今回の法案は、それでなくとも大手ハウスメーカーの意見と主張は十分に盛り込まれたものなので、彼らにとっては原案通りの可決でオーケー。

対する地域工務店の声、これがまったくといって言い程、ない。

であれば、我々の出番です。

ということで、大急ぎで意見書を作成。
意外と、専門メディアからの、こうした現場サイドに立った政策提言は役に立つようで、今日その大枠を何とかまとめました。

なんだ、やればできるじゃん。
メディアの役割は、こんなところにもあるんだと、再認識。

帰りに社長に労いの言葉と共に、ウナギをご馳走に。
スタッフと一緒にワイワイとやって帰ってきました。

明日は戸田、横浜、そして帰ってきてから夜は住宅メーカー社長と飲み会です♪

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2005/09/15

住宅民営化について

日本の住宅政策も民営化の波が押し寄せてきています。

『イギリス住宅政策と非営利組織』(堀田祐三子著、日本経済評論社)は、教会などが貧困対策で設立した救貧院に起源を持つ「HA」(ハウジング・アソシエーション)の存在について考察をしている書物です。

イギリスでも、現在の日本と同様に、住宅政策のあり方として、「市場か公共か」という伝統的な対立があったということです。「イギリスでは今、この公共と民間の役割の再編が非営利組織への政策的テコ入れを中心に進められている」(まえがきより引用)。

市場経済による住宅供給に行き過ぎると、公的セクターとしての公営住宅や中間所得者層への政策配慮が欠けることになります。かといって、公的セクターばかりに頼っていると、財政圧迫の問題や、それによる税負担が増してしまい、経済が停滞し新規着工も伸びません。

そこで、その中間として非営利組織による、住宅政策に対する補完が重要になってくる、ということは言うまでもありません。

イギリスでは、ブレア政権の初期に、「公営住宅」において、この中間的な補完モデルが具体的に導入されたということです。「公営住宅をはじめとする社会住宅を、公共と民間とHAの3者のパートナーシップによって維持」(193ページ8行目)するというものです。背景には、「公営住宅移管」を進める地方自治体の財政難の問題がありました。

公営住宅移管とは、80年代にイギリスが志向した「公営住宅の民営化」政策の限界が見えてきた(この限界の経緯状況については同書をお読みください)ことによって、新しい管理方式として登場したものです。
そこには、HAとともに「地域住宅会社」の存在も出てきます。

単なる「民営化」によって、公営住宅の残余化と二極化を招いてしまい、同時に中間所得者層の宙ぶらりん(持家にも行けず、公営にも行けず)という現象を招いてしまったイギリス。

その反省から、保守党・労働党とも政治的志向は若干異なるものの、住宅政策に付いてはほぼこの非営利組織を利用した移管事業は住宅政策として継承されてきたようなのです。

国策としての住宅政策、簡単に公庫を廃止して証券化とか、展望無き公営住宅の一層の入居者絞込みなどを強力に推進する日本の政策は、このイギリスのモデルを少し参考にしたらどうなのかな、と思ってているところです。

今後も当ブログにおいてはドイツ、フランス、アメリカの事情も同様に勉強して、気付いたところを私なりにここに記して行きたいと思います。

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2005/08/30

体制内スポイルの同一ベクトル

神戸大学の平山教授を尋ねて六甲へ。

郵政民営化が焦点となっている選挙ですが、ご存知の通り、住宅金融公庫廃止も郵政とは深いかかわりを持っています。
ここではその点は省略して、一番私が注目したのが、今の世の中は「体制内スポイル」が激化しているということです。

住宅政策の中で居住者の視点が欠けているとか、持家政策によって多くのローン犠牲者が生まれるといった部分は、居住者福祉の視点における、いわば体制『外』スポイルです。

どちらかといえば、我々が生活者として自覚する部分は、この体制の眼中から外されるという空しさであります。
しかし、実は体制内スポイルは、それと平行して確実に進んでいるということです。

「体制内」とは、今まで権力の側の一構成員として、その中心で機能していた役割を担う者です。
郵政で言えば「刺客」を送り込まれている「守旧派」がそうであり、住宅政策で言えば、住宅金融公庫が形成して来た地域工務店などの「住宅供給者」がそれに該当します。

これまたご存知の通り、金融公庫の消滅で借り手の選別が起きて、条件に満たない客を持つ地域の工務店が仕事のチャンスを逸することになりました。

公庫は今度は証券化ローンによるフラット35を出して選別融資の進行を止めようとしていますが、銀行は自社の住宅ローン商品を売る方が儲かるので、フラット35に消極的です。仮にそれを採用しても、金利を上乗せして、自社の商品の優位性を保とうとします。まさに、「公庫に憎し」のごとく。

ただ、公庫廃止でこうした自殺予備軍を育成するような長期固定ローンを国家的施策で組ませるという持家信仰を停止するチャンス到来となれば、自然のなりゆきでした。しかし、実はそう簡単に行かないことが取材によって、分かってきました。

それが、
①住宅ローンの市場機能活用(融資の民営化)は、その市場機能のみが強化される。
ということです。その結果、我々居住者の自由な住居確保はおろか、工務店のキャッシュフローと企業体の体力のみが重視される、大手住宅メーカー中心の先鋭化した住宅商品ビジネス供給体が強固に構築されていくだろう、ということがわかってきました。

そして、
②一方で選択肢として欲しかった賃貸住宅市場は、まったく放置される。
ことが明らかになってきました。
これを少し解説すると、民間賃貸市場は、分譲マンション市場も含めて、総じて「建替え促進」が国家的施策で推進されることになるからです。
この詳細については、「スラム化の国家的危惧」の部分とも密接に関連してくるところでもあるので、また改めて触れることにします。

さらに、
③公営住宅のセーフティネットは、まったく機能しない、というか、国家の介在を放棄する。
ということも分かりました。

実は、この③が、新しい住宅政策、つまり「住宅基本法」の根本思想を物語る部分でもあることが、明確になったのです。

この部分について、私は正直言ってあまり重視していませんでした。
しかし、公営住宅は、より「貧乏競争」が激しくなってきます。そして、数の確保はまずあり得ません。
今あるパイの中で、入居選別が強化されていくことになります。

これについては、ちょっとどこまで踏み込めるかは不安ですが、詳しくは住宅ジャーナル9月号の中で、できるかぎり詳しく報告したいと思っています。

もちろん、掲載が難しい場合も想定して、このブログでは取材過程のすべてを公開して行きたいと思っています。

このテーマは取材をすればするほど、賛美両論が出てくる難しい部分でありますが、

「誰にとってのセーフティネットか」
「住宅の価値が下がることを『スラム化』と定義付けて一番警戒感をあおっているのは、誰か。そして、それは何のためか・・」
「本当に住宅の価値が下がることが危機なのか、だれにとっての危機なのか・・・」

こうした視点でひとつひとつ検証して行きたいと思っています。
すると、冒頭に掲げた「スポイル」のメカニズムが、はっきりと浮上してくるのが分かるのです。


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2005/05/20

新しい住宅ローンが生む良質な“墓標”

今後の住宅政策の柱となりそうな「住宅基本法」。
さて、ぼちぼち検証を開始して行きたいと思います。

まず、これの元になっている資料があります。
それは、社会資本整備審議会住宅宅地分科会が昨年12月に出した「新たな住宅政策に対応した制度的枠組みのあり方に関する中間とりまとめ」というものがあります。

この中で一番とっつきやすい部分でもあり、また数多く出てくる言葉に、「住宅の質の確保・誘導」というものがあります。

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2005/05/05

★始めます★住宅政策の検証

マリーンズの話はさておき、さあこれから遂に当ブログの目的のひとつでもあった、「住宅政策の検証―現在的“住宅難”について」を開始して行きます。今年中には、なんとか「これが現在の住宅政策なのだ!」という形を提示できれば思っています。ボチボチやっていくので、色々なご意見なども頂ければ幸いです。

「住宅基本法」の制定、このことに現在の「住宅産業界」はどのような関心を持っているでしょうか。

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2005/04/26

水面下で始まった動き

住宅政策のあり方を巡って、いま水面下では色々な動きが出始めています。
とりわけ、「新建材」についての今後のあり方について、メーカー、流通、工務店各層に対し、色々な仕込みの段階に入ってきています。

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2005/04/02

婉曲な資産没収?

有限の時間の中に、無駄な時間がたくさん含まれています。
しかし、その無駄な時間を意識的に作ることをしなければ、有限な時間は生きてこない-私の時間感覚は、概ねそんな感じです。
だから、世の中で成功している人たちの本を見たり話を聞くと、本当にスゴイと思うのです。
寝食惜しんで、一定のペースを維持出来る人々が、しかも、それをごくあたり前にこなす人々が、おそらく社会の成功者になっているのだろうなと、思うわけです。

忙しい、本当に忙しいのに、1時間以上もボケーとしてしまう、映画を観てしまう・・・そして尻に火がついて焦り出す、私はそんな性分かな・・・まう、凡人ってことです(笑)

ところで、記そうと思っていて、大分時間が経ってしまったのですが、今回はリバースモーゲージの話。
リバースモーゲージとは、簡単に言って、「土地は持っているけど、現金は無い」人に対して、生活費をローンとして貸し付けようというものです。担保は、所有あるいは現在本人が住んでいる土地です。
借金は最終的にその土地で清算するので、土地が再流通しやすくなるというメリットがあると言われているものです。
また同時に、これが盛んになると、特に土地持ちの高齢者層が総じて金を使うようになり、お金が動いて経済が活性化するとも言われています。

さて、日本でこれが今後、「住宅基本法」という06年に法案提出が見込まれている住宅政策転換の目玉(?)として、クローズアップされてきています。ただし、課題がたくさんあるのも事実です。一番のネックが、融資機関が金融商品としてリスクが高いという意識を持っているために、担保価値(評価額)の70~50%を上限である点です。

これでは例えば築30年の資産価値ゼロの家でせいぜい土地だけで1000万円程度の価値の場合、700万円が融資上限となるから、60才以降20年間生きるとして、限度額で打ち切られた場合、20年間で一年あたり35万円しか受けられない計算になる。つまり、日本の住宅資産価値を事実上決定している限り、高齢者にとってはまだ公的年金制度や民間の生命保険商品の給付の方が身近に感じてしまうのてせはないでしょうか。(ましてや民間型の場合5000万円下限??)

そして、持ち家政策の影響によって根付いてしまった「居住の再生産文化」(私の造語です)が、民度の問題として継続していること。つまり、住宅がスターターから始まって5回の転売を繰り返し終の棲家へという市場におけるヨコのサイクルではなく、親から子へといったタテのサイクルで資産継承がされていくという点。「一生かけて築いた絶対資産」が、老後の数年で溶けて行ってしまうという〝空しさ〟に打ち勝てるのか、という点。

つまり、マクロ経済にとっては、
①持ち家政策は「最初にドカーンと経済効果を生ませる一回限りの『カンフル剤』」。
②リバースモーゲージは「長期にわたりジワジワと裾野から凍結資産を流動化させていくといった『滋養強壮剤』」。
といった見方が出来るのかなあと思っています。米国は「滋養強壮剤」をスターター購入から終の棲家まで一貫して使っているストック市場。それに対し日本は最初の「カンフル剤」だけだから、最後は「滋養強壮剤」を使っても効かない新築至上市場。途中で急に薬を代えられない体質になってしまっている・・・

日本には現在、国交省・住宅金融公庫というカンフル剤の専門医はいるものの、滋養強壮剤の専門医は存在しません。その意味でも、住宅基本法の制定による公庫消滅後の独立行政法人には滋養強壮剤としての機能を期待したいところなのですが。

そして、もっとも重要なのは、相続の問題です。
たたでさえ、「パラサイト」が多く、資産・地位などの「世襲文化」の日本の生活文化において、親が勝手に財産を処分することが、簡単に成立するのかどうか。ましてや、資産価値が高い土地資産であればあるほど、相続人が複数・遠隔に存在したり、急に親戚が増えたりと、ややこしい権利関係をクリアできるのか、が課題となると思います。

そして、リバースモーゲージの目的、ここが大事です。
つまり、社会政策的に言えば、
①老後の生活保障重視なのか・・・
それとも
②経済活性化のために資産没収を婉曲に行う制度なのか・・・

現在のリバースモーゲージ議論を聞いていると、「モーゲージバンカー」とか「モーゲージブローカー」とかいう金融市場を一生懸命作ろうという動きがばかりが目立ち、生活者の観点がまったく欠落していることに気付かされます。

そんなことから、どうも私は、②のような気がしてなりませんのですが・・これはあまりに偏見でしょうか(笑)

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2005/02/16

③性能規定化と建築基準法が持つ、「緩和」と言いつつも実質的「規制強化」に繋がっている「認定」問題

_0121さて前回からの続きです。今回は③性能規定化と建築基準法が持つ、「緩和」と言いつつも実質的「規制強化」に繋がっている「認定」問題です。

建築基準法の概念の外に置かれる新工法や新材料などに対して、特別に「大臣認定」という形で認定してあげて、世の中に新しい技術を送り出してきたのが、「建築基準法38条認定」というものでした。これは細かい仕様を逐一指定するために、通称「仕様規定」と呼ばれるものでした。

学術的かつ細かな説明は苦手だし、あまり読んでる方も面白くないと思うので、例えば、建築物を「書物」に置き換えて考えて見たいと思います。

まず、新しく発明した書物を出したいとします。今までのサイズだと、A5とかA4とか、b4とかの定型サイズがあるわけです。「書物はこの3つのサイズに限る」と規定するのが、建築基準法だと考えて見ます。すると、名刺サイズの書物を出すためには、基準法の例外となるために、勝手に出してしまうと、書物の発行許可が下りません。そこで、「38条認定」を使って、特別に「名刺サイズ」になるための寸法、紙質、束、ページ数などといった「仕様」を規定した上で、ページめくり試験??笑・・を行った上で発行の許可を貰うという手順となります。これによって、「38認定書物」が世に流通出来るわけです。

どうでしょうか、非常に馬鹿らしいと言えば馬鹿らしい。いちいちそんな仕様を決めなくても、「書物は書物じゃないか!」と思うはずです。しかし、もしかしたら、「本の紙にトイレットペーパーを製本しているかもしれないので、それでは読みづらくなるので、仕様を事前に確認させてください」というのが、認定機関の理屈となるわけです。

いずれにしても、これはやっぱり馬鹿馬鹿しいですよね。そんな批判が高まったことから、国は「じゃあトイレットペーパーとか使うはずも無いのだから、仕様をいちいちチェックするのはやめて、書物全体の〝性能〟をチェックするだけにしましょうね」として、建築基準法を改正することになったのです。これが、いわゆる「性能規定」というものです。
そして、こうした「性能規定化」が始まって、現在の建築における新技術の登竜門となっているわけです。

しかし、ここで疑問が出てきます。「ところで、性能をチェックするとは言うものの、どうやってチェックすればいいの?」ということになったのです。さきほどの「書物」の例で、再度考えて見ましょう。

「書物の性能」とはなんだ?そうか、それは判型でもあるし紙質でもあるし、めくり具合でもあるし、また文字の大きさでもあるし、色々とあるものだなあ~と悩み始めました。そして、それらの性能比較を行うには、当然に比較対象になるべく客観的指標が必要になってくるのです。
以前の仕様規定は、ともかくその数値を守っていればオーケーである「絶対的評価」であるゆえに、一見厳しいと思うが、例えば「サイズは名刺サイズで」「紙質は100%リサイクル和紙で」といった絶対的数値さえクリアできれば良かった。しかし「性能評価」とは自由な基準を保証する概念のために、逆に「自由なサイズで大丈夫なのか保証するための試験を課す」「紙質も自由にしたのだからリサイクル和紙の場合と通常の和紙とのめくり強度の比較をして誤差以内に収まるかどうかの試験を課す」・・・など色々なケースを想定した「相対的評価」で無くてはならないというジレンマに陥ったわけです。

すると、その相対的評価するための試験基準が何も無いことが分かった。
すると、新しい性能を評価するための試験基準作りと、試験機関の設備導入や試験官の増員などが、必要になってくる。

つまり、性能規定化によって、どんどん試験認定制度が高度化・複雑化、悪く言うと肥大化していき、国だけの手に負えなくなってきたわけです。そこで、試験機関・認定機関を「民営化」していったわけです。これが、「指定認定機関」というもので、建築主事まで「民営化」されて、現在全国に100以上の民間機関が散らばっていったわけです。

これによって、認定ビジネスが誕生しました。そして、「民営化」された認定機関には、公的機関の役人系列のOBの方々も、アドバイザーや顧問待遇で就任する(ところもある・・としておきます)といった、「天の川ラインくだり」の構図が描かれているわけです。

結果として、性能規定化は民間の新技術にとっては規制強化となり、国にとっては大変に規制緩和された認定ビジネス全盛時代を迎えることとなったわけです。

以上、すこし説明が大雑把で強引で、専門家の方が見れば間違っている部分もあるかもしれませんが、
「だいたいよお、トイレットペーパーで本なんて作るわけないじゃんかよお~」
と嘆いているのが、多くの新規参入者の叫び声だと思って間違いありません。

しかし本当にそんな本があったら、面白いかもしれませんね♪

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2005/02/05

②縦割り行政

続いて、②項目目の「縦割り行政」についての考察です。
この問題は、気分的に言っておそらく「紀元前」から言われていた問題なのではないでしょうか。

これは仙台での会合で聞いた具体例です。
地域材振興のための施策として、林野庁は補助金を2億円用意して実施スキームを準備していますが、その運営は各種法人・組合組織への事業委託という形になっています。こうした運営形態については以前にも書きましたが、問題はそこからです。

 財団法人で工法や材料の認定・試験制度の実施主体となっている機関がありますが、ここでは本省・本庁から来る補助金を受け取り、それを工法普及のための活動費やシンポジウム費用などに充てています。
 その一方で、彼らは民間企業が応募する認定に掛かる費用も、最初に受け取る窓口として機能しています。民間企業からの「試験料」や「手数料」を仲介役として貰い、実際の試験については、さらに兄弟格である独立行政法人○○試験センターや、民間の試験会社へ委託するに過ぎません。

 これは、「官から民から降って来る」、つまり二重取りと言えるのではないでしょうか。

 さらに、これよりももっと重要なことがあります。それは、補助金の運用について事業委託された団体・組合の差配は、事実上、「その機関の業務範囲内において」の金の差配のみに、その権限が限られてしまうという現実があるということです。

 どういうことかというと、例えば地域材の「工法普及」を使命とする関連財団法人では、「学問的・経済的・安全性の面からも意味のない認定に関する規制緩和をして欲しい」という要求を民間が出してきた場合、それが仮に「認定を緩和することによって、革命的な地域材振興を果たせる」という提案であっても、却下されてしまうのです。

 つまり、補助金の目的は「地域材振興によって経済活性化をする」という同一のものであったとしても、その委託先の運営主体が限られているために、必ず「その範囲ではできない」という現象が生じ、実際のケースバイケースの要望には応えられないという問題を生んでしまっているのです。

 「認定制度については、国土交通省に行って下さい」と言われたところで、その省からは「地域材振興」という目的はないのだから、どうしようもないのです。

 補助金のジャストミート性とは、本来の目的があって、その目的のためならば運営主体の「業務範囲」などに縛られることなく、フレキシブルに差配されなければならないということです。つまり、「地域材振興」という目的があるのならば、ましてやそれが「国策」という位置づけであれば尚更、「不必要な認定制度を取り払う」といった方向に向けられなければ、意味がありません。

 逆に、「認定料が高い分を補助します」という程度の考えであれば、納税者だけが損をして、運営主体は絶対に損をしない、リスクを負わない仕組みが温存される分、さらに悪いことだと言わざるを得ません。

「補助金を差配する認定組織が、民間から認定料を取っているのだから、その補助金を認定制度改革のために使わせて欲しいと言っても、そりゃ通るわけないよな」と言って構造設計者の先生は笑っていました。

ではまた次回。 

 


 

 


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2005/02/04

①補助金のジャストミート性

今回は補助金のジャストミート性の考察です。
補助金とはどういう性格のものなのか、まず考えて見たいと思います。

補助金とは、国や地方公共団体が、税金や雇用保険などの財源を使用し、選定された企業や団体に対し一定の金額を支給する制度です。つまり、融資制度とは異なり、返還不要のものです。
つまり、この時点で補助金を貰うこと自体、受ける側にはリスクは存在しません。

しかし、リスク面ばかりを見ていると判断を誤ることがあります。

例えば、育児に関すること、高齢者に対することなど、ビジネス経済とは結びつかない部分だが、ミニマムのラインを国が保障するという性格のものが該当します。

次ぎに、少し範囲を広げると、「公益性」つまり、よく「公共の福祉」とか言われるものがあります。実はここのラインが、グレーゾーンであるわけです。「公益性」を判断する基準が、ないのです。判断する基準が無ければ、誰かが判断しなくてはいけません。それは誰か。

解釈を広げていくと、どんなことでも公益性があることに気付くはずです。

極端な例として、例えば、従業員2人の会社が自分の目の前の道路を開発したいから補助金をよこせ、というケース。これは無理ですよね。しかし、実際には、これでもオーケーになるのが、「公益性」の辛いところです。
つまり、政治力があれば可能になります。カオが効くことが、補助金の最も最適な利用方法だったわけです。

日本全国津々浦々、カオが効く人たちがこの国の補助金の多くを牛耳っています。
彼らの懐にはジャストミートするのですが、これが本当に日本経済の活力を生み、補助金の投入効果があるかどうかは、まったくもって評価がなされません。

話がすぐにズレてしまいましたが、私のテーマである「木材関連の補助金」の分野では、特にこうしたカオが効く補助金の使われ方に、メスを入れなければならないと考えます。つまり、森林イベントや啓蒙パンフ製作といったことが、補助金を受領する窓口サイドにとっての恒常的な「儀式化」となっていることが、問題だということなのです。

既に「補助金」が毎年繰りいれらる会計予算になっている事業団体、これはすでに「その組織自体の維持」が目的になっている、ということなのです。つまり、その組織を潰さないための、補助金だったりするわけで、これでは本当にお金が足りない下流の受け手のところまで効果が及ばなくなるわけです。

それでも、最低限、「その組織の雇用を守る事で経済が回っている」というのであれば、そういう経済社会を指して、社会主義経済と呼ぶのではないでしょうか。

冒頭に記しましたが、「受ける側にリスクなし」が補助金ですが、そのリスクを財政や国民の税金が背負っているわけです。その意味で日本国民は補助金の「投資家」なわけですから、当然リターンを呼ぶような投資的な使い方と、事後評価の公開と、『使ってみてここが意味があった、なかった」という反省レポートの国民への公開が、今後は補助金受け取り主体に義務付けられても良いのではないでしょうか。

投資効果・つまりジャストミート性を判断する機会を、是非とも公開してもらいたいと、木材分野に関して要求して行きたいと思っています。


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2005/01/31

「お前は出ていけ」「メシはまだか」どっちやねん??

雪だけが心配でしたが、今日は仙台へ。
地域材を利用したリサイクル可能な木質ブロックパネル工法の会合の取材。

林野庁は、あり余る日本の地域木材、とりわけ役モノと言われる利用価値の高い木材以外の、「並材」「間伐材」といった商品化の難しい資源を有効利用するという「国策」を遂行しようとしています。そして、先回も書いたように、そうした並材などの普及を促進させるために、「地域材の促進」策として、補助金を出している。その額、今年は2億円が国会終了後に決定する見込みです。

その金額は、果たしてジャストミートな使われ方をしているのか。やはり、この問題は避けて通れないということが、今日の取材ではっきりしました。そして、補助金という問題だけでなく、資源・環境問題に国が取り組む際に、現状の「縦割り行政」の欠陥も、明らかになりました。さらに、建築基準法が「38認定」というものが廃止され、新たに「性能規定化」された中での認定制度自体が持つ新しい規制問題、そして試験機関(第三者機関)の民営化という美名に隠れて「介入」するといった、新しい運営上の問題点、こうした行政サイドに関わる諸問題の解決を、粘り強く国に訴えかけて行かなければならないと、確信した次第です。

つまり、
①補助金のジャストミート性
②縦割り行政―国策と言う割に統一感のない行政姿勢
③性能規定化と建築基準法が持つ、「緩和」と言いつつも実質的「規制強化」に繋がっている「認定」問題
④民間検査機関への移行による、新たな行政の介入

といった、「構造的な規制要因」が、民間の優れた技術やアイデアを阻んでいる現状を、何としても多くの業界関係者、一般の方々に知ってもらう必要性があると思ったのです。

次回からは、上記①~④といった問題に沿って、それぞれの問題点について記して行きたいと思います。

そして、こうした問題点は現在、多くの建築技術者の間で噴出している問題だということを、ここで改めて報告する次第です。
「規制が強化されて、開発から商品化までに、5~6年以上かかる。やっと商品化の目処が付いたところで、次はコストの問題が出てくる。市場は安定供給を求めるから、設備も低コストで供給出来るものを用意しなければならないとなると、需要がない状態で過大な設備投資を覚悟しなければならない」と、今回の木質ブロックパネル構法の認定申請や構造設計に携わった建築設計者は嘆いています。

背景には、建築基準法の性能規定化が施行される時期とタイミングが重なってしまった、ということもあったそうです。法改正が急に決まり、「規制緩和」という看板だけで進められて、その背景にある問題点とかが、まったく議論されなかったということが、今になって判明してきたのです。

まるで、かつての「政治改革」という看板と同じで、実質的には本来の目的である汚職政治家と官・企業との癒着の排除は実現せず、「小選挙区制」にすり変わっただけの話と同じです。
そして、現在の「構造改革」といったワンフレーズポリティクスによって、道路公団民営化の骨抜きと同様の話とも言えます。

認定制度とは、言葉は悪いですが、つまるところ「金を払えば、そのときは好きにさせてやる」みたいな感じです。完全に好きにさせたら、金を払ってくれませんから、認定権限だけは絶対に手放さないのです。それは、「性能規定だから自由だよ」と言って国は手放したような格好をしつつ、手放した先は天下り機関である関連独立行政法人だったり、各地の財・社団法人、そして新たな指示系統となる民間第三者機関だったりするわけです。逆に、焼け太ったと言ったら、語弊があるでしょうか。

官は、いったいどこまで民にしがみついているのか。
「文句を言うなら、もう出ていけ!」と言いながら、「メシはまだか?」といって女房に寄生しているマイホームパパと全く同じ構図にみえるんですよ、今の官と民は。


ではまた次回・・・

※性能規定の概念について、下記リンクページの上から18番目あたりの、「建築基準法の一部を改正する法律の要点」が大変に分かりやすく書かれています。
http://www.kinki.zennichi.or.jp/ippan/news/

※「性能規定」に関しては、東大の神田順教授がその問題点をかねてより指摘しているので、下記アドレスを参照してください。
http://www.eenix.gr.jp/sympo2001/sympo2001.htm

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2005/01/27

三位一体、蛆虫一体

「三位一体の改革」、これは最近のワンフレーズ政治でよく出てくる言葉です。
これは国と地方の役割を見直し、地方の財政的自立を図るための地方分権改革の言葉として、いまや新聞に載らない日はないほど、浸透している言葉です。

今回は、この三位一体改革について、実際に国のお役人の実の声を紹介したいと思います。

先回の林野庁で補助金の申請・配分に関する課長補佐氏は、「三位一体改革は、国が補助金を配分する仕組みが中央集権的だと批判されるが、その差配を地方の行政担当者が行った場合には、現在よりもさらに問題が起こる」と指摘しました。

これはどう言う事かというと、予算の差配を国の役人(担当者)が持っているかぎり、いくら有力な政治家であっても、非常識な要求は突っぱねることができる。しかし、地方にそれを移譲すると、知事や議会に絶大な影響力を持つ地元有力政治家の指示に対しては、地方役所の一担当者はとても突っぱねることは不可能だという論です。

例えば、林野庁の補助事業が、いくら批判されようとも、それは百歩譲って近親財団に丸投げされるまでですよね。しかし、これが林野庁の手を離れ、例えば九州のとある県に差配権限が移った場合、もうそこには「国策」という概念ば通じない。それこそ実は地方分権の本質なのだが、「国策」ではなく「地域密着」による補助金活用ということになる。この理念は良いがしかし、そこに金が絡むと話は違ってくる。つまり、国にタカルことができない政治屋どもが、「地方分権」されたその少ない金額を持つ担当者に脅し・すかしでタカルようになる。議会も知事も敵に回すことの出来ない担当者は、仮に信念を貫いて政治屋を追っ払っても、その自治体からは逃げることはできないから、地域では反目者として白い目で見られる覚悟が必要になるというリスクを追うわけです。

これに対し、意識の高い国の役人がなぜ突っぱねられるかというと、彼には地元というみのがなく、また配置換えをしてしまえば、いつでもシガラミもなく理想は通せるということらしいのです。

上記の話は、あくまで国のお役人さんの話ですので、若干我田引水的な見解かもしれませんが、話の筋は通っているように思います。

世の中にお金がある限り、そしてその金が税金だったり民衆から撒き上げた金であればなおさら、どんなに小額になっても、その最後の汁の一滴まで吸い上げるハイエナが、皆さんのそこら中で彷徨っているのです。

こういうのを、何というか知ってますか?
それは、泥棒です。

補助金、予算、三位一体、言葉は綺麗なんだが、それらはゼーンブ、税金、つまり我々のお金です。
国に寄生しても何も吸うことができないことに気付いたハイエナどもが、今度は我々の住む地域に蠢き出し始めるのです。

こうした蛆虫が巣食うカラクリを壊すことが、構造改革だったはずですが、やっぱりこの国は破産宣告(すでに破産はしているのですが・・・)をされて取立人(IMF)が来ない限り、気が付かないのでしょうね。

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2005/01/24

補助金ベンチャーキャピタル論②

 林野庁に出向き、補助金ベンチャーキャピタル私案について説明をしてきました。

 補助金制度の問題点は数多くあることを、担当者は十分認識をしていました。
 結論から言うと、国が一企業に対して審査を行い投資的なことをすることは、①人材的な面での対応が難しく、また②審査によって生ずるリスクについて(例えばその企業の信用力や事業遂行能力など)国が負うことは大変に難しいという、主に2点の面から実現困難であるとの説明を受けました。特に、審査後の投資(融資あるいは補助金交付も含む)リスクについては、役所の部署単位での責任では済まなくなり、主務大臣の責任にも及ぶということでありました。

 しかし例外的なケースもあるとのことです。それは、知名度・信頼度が事業実績から存在すると判断される場合、さらにその事業自体が「国策的に」遂行されなければならないと判断された場合に、補助金が投入されるケースです。具体的には、現在中国木材が行ってる「異樹種集成材」の開発普及事業がそれに相当します。

 異樹種集成材の開発は、日本の住宅着工における使用木材の80%を依存して来た米材・南洋材輸入がここ10年間で大幅に激減していることから、国産材の安定供給が国策として求められるということ、さらにはロシアの京都議定書の批准によって、国際的にも環境問題の公約としての重要性が高まってきたことが、補助金投入への大義名分として確立されたということです。

 それでは、知名度がないが技術はある製材所や木材会社には、補助金活用の道は開かれることはないのか、ということになります。

 方法として考えられるのが、①中小企業庁のベンチャー育成投資制度を活用することが一番の近道だということです。そして、それを有効にするためのテクニックとして、②役所や認定制度を使ってまずはお墨付きを貰い、その企業の存在する自治体の知事からの推薦状を取り付ける、続いて③-1としてその推薦状を持って中小企業庁の制度にトライする。あるいは③-2として、お墨付きを手にして自治体に粘り強く折衝し、自治体の融資制度を引き出す、③-3として、お墨付きプラス知事の推薦状を持って、国の低利融資制度(中小企業庁の制度と同一か別かは不明)の引き出しにトライする、ということが考えられるという話になりました。

 林野庁の課長補佐氏は、とても熱心に話に付き合ってくれました。そして、林野庁を代表するコメントではないものの、行政側から見た地域の木材会社への愛情も感じることができました。ただし、最後まで疑問に残った点があります。それは、やはり補助金の実施主体が、結局同庁直属の財団法人にならざるを得ないという点です。

 この点について 「新規に実施主体を公募するという選択肢はないのか」と問うと、「主体は新規となると審査に膨大なエネルギーが掛かり、また前年の補助金交付実績を重視する財務省との関係もあり、冒険は難しい」という苦渋の部分もあると吐露していただきました。
 今回の概算要求でも、林野庁は「国産材振興と地域林業再生、さにら地域材を使った住宅工法開発」のために新規に8億円要求したが、結局財務省は2億円の枠して提示してもらえなかったのです。「今回は京都議定書や緊急を要する国産木材供給のための要求をかなり強く行ったのですが・・・」と課長補佐は残念そうな表情を見せていたのです。

 こうしたことから、補助金問題の核心は、前例主義によって事務的に割り振りされる財務省の予算配分にあることがひとつ分かりました。しかも国庫も枯渇しており、金はそう簡単に出せないから、より政治力の強い部分の事業の方へ、復活折衝によって割り増しがなされる。これこそ、族議員のドロドロ世界なわけでありました。

 金がなくなると、政治力の強い部分が先取特権を有し、あとの部分は前例主義。
 行財政改革、構造改革など言われているが、予算の実態の見ると何十年も前とナーンニモ変わっていないということが、分かったのです。

 こうしている間にも、国の借金はもうすぐ800兆円に達しようとしています。一体、予算とか会計とかって、何なんですかねえ~(笑)。

 「メディアよ、しっかりこの矛盾を伝えてくれ。特に、三位一体改革の問題点、これはたくさんあるぞー!」と、最後に課長補佐氏にまで励まされてしまった。あれれ、林政の矛盾を追及しようと思っていたのになあ、どういうこっちゃ(笑)。それはそれとして、ケムに撒かれずに、さらに林野庁さんに対して今後も継続的にアプローチを続けていこうと思っています。

 というわけで次回は「三位一体改革」の矛盾について、地方行政で起こり得る可能性について書いてみようと思います。


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2005/01/18

私案・「補助金ベンチャーキャピタル制」①

 現在の補助金の使われ方について、今日はとあるパーティーで林野庁の木材加工担当の課長補佐さんと意見交換をした。

 私が氏に提案したのが、「補助金ベンチャーキャピタル制」という私案であった。この補助金制度に関しては、今まで事業計画を提出して、それなりのパイプと実績を持っていれば、補助金は簡単に降りていた、というイメージが付きまとっている。そして、先にも『来年は旧弊の規制を払拭する』の項で記したが、投資効果が見込まれる可能性が高い開発者や小企業に対しては、なかなか補助金が個別で交付されにくいという、国ならではの問題点があるのだ。(国は建前として、「大義名分のない一企業に対しては補助できない」という前提があるためだ)

 一例として、森林組合などが「国産材」(植林されて伐採を待つ国産のスギや桧)振興のために、プレカット工場を開設するための補助金を受ける。その額、仮に3億円。この3億円を使い、森林組合は工場を新設し、機械設備を導入したりといった設備投資費用に充てる、といった例が「補助金の成功物語」の象徴事例である。

 しかし、この工場では何をしているのかと言うと、実際は国産材など加工しないで、外国から輸入した木材を加工しているのだ。その理由は、国産材は市場では売れないし、安定的に伐採する手段が無いから、いくら加工しても儲からないし、需要がないということである。
 ちなみに、工場の中には常駐スタッフが存在しないところもあり、機械は新品のまま稼動を停止しているという悲しい現実も私はかつて見たことがある。さらに蛇足だが、その理由がまた、面白い。「この工場は最先端の設備なので『無人化工場』を目指している」(笑)。

 需要が無いから、補助金を使って何とかしようという意図な訳だが、実際は思惑通りにことは運ばない。何故か。

 それは、補助金を出すことによって、その結果どういう効果が見込まれ、幾ら儲かるのか、という読みが甘いためである。そしてそもそも、補助金を受ける側も、自分たちの給料や一部の利益に預かる人々にとって美味しければ良いという考えだから、ダメなのである。

 どうすれば良いかというと、補助金を出すという行為を、「投資」と考え直すことが先決である。これが、「補助金ベンチャーキャピタル制」である。

 林野庁だけではないが、国策として推進したい公共事業に対しても、例外なく「投資後のリターン」を当然に要求し、厳密にそのビジネスの将来性を審査し、場合によっては民間のシンクタンク組織や投資顧問会社などと提携して、利潤を生む政策投資をしてもらう。

 私案を聞いた課長補佐は、「補助金に関しては様々な制度があるので、今度来庁して調べて見てください」と丁寧にお答えいただいた。

ふと考えると、この補助金のメカニズムは、何かに似ていると思いませんか?
そうです、高速道路、新幹線など公共投資における出す側・受け取る側のメンタリティと相似系をなしているのです。

いずれにせよ、早々に林野庁に出向き、実現可能性の高い方策へ落としこむべく改めて意見交換してみる予定です。

 次回は、この「補助金ベンチャーキャピタル制度」の効果について、触れてみたいと思います。(つづく)

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2004/12/29

来年は旧弊の規制を払拭する

何とか年末の忙しい時期が過ぎて、やっと机の前に落ち着いて座っているところです。

このタイトルが「未来ビジネス」となっているが、まさしく来年は「未来ビジネス」を阻害しているものを探し、ひとつひとつ解消して行くプロセスの1年にしたいと思っています。

まず、最初に手を付けるのが、「認定制度」や「認証制度」です。

国の外郭団体である独立行政法人や財団法人が行っている認定制度に対する不満の声が、住宅業界への新規参入者から挙がっています。

青森の木材会社がドイツから輸入したブロックパネル工法を日本で建てるためには、防耐火試験、材料試験、構造試験といった莫大な金を掛けた試験をパスして行かなくてはなりません。

青森の社長は、下打ち合わせ、申請、申請書式作成のレクチャー、実際の試験、試験後の評価といった作業のたびに、青森から東京へ移動するのです。そして試験費用のために数百万円を注ぎ込む。それが2年、3年と続く。とてもスピード勝負と体力勝負の現在の社会では、これができる人物や企業は数が限られてしまうでしょう。

金のない新規参入者は、こうした手続き作業だけで破産してしまうかもしれません。

そして、そこまでして認定を取得したところで、実際のビジネスとして普及するかと言えば、それは保証されるわけではない。認定を取得し終えた頃には、既に他工法に注目が移ってしまい、市場はなかった、という悲しいケースも想定されるでしょう。

いったい、こんな認定制度にどんな意味があるのか。

それでいて、補助金制度というものが、しっかりと残っている。
地方の業界組合や産業別の受け皿母体に対しては、何の新規発想も何の斬新な取り組みもなく惰性で作られた「事業計画」に対して、数千万円の補助金が渡るというおかしさ。

補助金の使い道は「投資」と考えれば、リターンのないところに投資をすることは経済法則に反しているばかりか、その他の新規アイデアを持つ事業家やキャッシュフローの問題さえ解決すれば普及が爆発的に広がるであろう新規参入技術の発展を大いに妨げているとは言えまいか。

来年は「住宅ジャーナル」でも徐々に認定制度の問題点についても、検証をしていきたいと考えているのです。

さくら


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